こんにちは、プル子です!
青い海、きらめく太陽、そして開放感あふれるショッピングモール…。
多くの人が思い浮かべる「楽園ハワイ」のイメージですね。
その華やかな魅力はもちろん健在ですが、今回の旅では、その裏側にある“もうひとつのハワイ”にも触れてみたいと強く思っていました。
ずっと訪れたいと願いながらも、なかなか行けなかった場所 - それが、パールハーバー(真珠湾)です。
かつては、「日本人が訪れるのは控えたほうがいい」と言われていた時代もありましたが、今はもうそんな風潮はありません。
円安の影響もあり、ツアー料金は決して安くはありませんでしたが、それでも「行ってよかった」と思える、価値ある体験となりました。
それでは詳しく書いていきますので、最後まで読んでみてくださいね!
ツアーの申し込みと所要時間
私が今回参加したのは、「真珠湾まるごとヒストリカルツアー(アリゾナ記念館+戦艦ミズーリ+パールハーバー航空博物館) 」。
第二次世界大戦の始まりを象徴する「アリゾナ記念館」、戦争の終わりを告げた「戦艦ミズーリ」、そして空からの視点で歴史を伝える「パールハーバー航空博物館」。
今回私たちはANAのホヌの飛行機に乗ってハワイに来ていたので、ワイキキ・ショッピングプラザ2階にある「マハロラウンジ」を利用することができました。
こちらで休憩している時にたまたまオプショナルツアーのパンフレットを見ていて、その中に今回参加したパールハーバーのツアーが目に留まりました。
「これは良い機会!」と思い立ち、ここで参加を決め、ラウンジのツアーカウンターで予約をしました。
ツアー当日
当日は早朝5:30に指定されたホテルの前で待っていると、ツアーの送迎バスが迎えに来てくれました。
ガイドさんのツアー内容の説明を聞きながら、まずはツアー会社のオフィスに向かいます。
なぜかというと、パールハーバーの施設内はセキュリティの理由から以下のルールがあります:
私は財布、スマホ、ペットボトルの水だけしか持っていなかったので、バスの中で待機していました。
その後、バスは活気あふれるワイキキの街を抜け、パールハーバーへと向かいます。
車窓から見えるいつものハワイの景色が、目的地に近づくにつれて少しずつ違って見えてくるから不思議です。
ガイドさんから真珠湾の地理的な重要性や歴史の概要を聞くうちに、心は少しずつ、静かに引き締まっていきました。
静かな祈りの場所「アリゾナ記念館」
パールハーバー・ビジターセンターに到着すると、ワイキキの陽気な雰囲気とは一変、そこには厳かで、それでいて静寂に包まれた空気が流れていました。


入り口では手荷物のセキュリティチェックがされた後、施設内に入ります。
そして参加者はグループ毎にアリゾナ記念館に向かうためのボートに乗る申請をスマホで行い、出発時間まで自由時間となりました。

まず最初に向かったのは、真珠湾攻撃で沈んだ戦艦アリゾナの上に建つ「アリゾナ記念館」です。
記念館へ渡る前に、併設されたシアターで当時の記録映像をまとめた20分ほどのドキュメンタリー映画を鑑賞します。
攻撃の瞬間やその後の混乱を生々しく伝える映像と、劇場内の張り詰めた空気に、思わず息を呑んでしまいました。
映画鑑賞後、アメリカ海軍の兵士が操縦する専用ボートに乗り込み、湾に浮かぶ記念館へと向かいます。

海の上に静かに佇む、真っ白で息をのむほど美しい慰霊施設。
その中央部が少し沈み、両端が持ち上がった特徴的なデザインは、「当初の敗北と最終的な勝利」を象徴しているのだそうです。
中に入ると、大理石の壁一面に刻まれた1,177名の犠牲者の名前に圧倒されました。
国籍も人種も様々な人々が、ただ静かにその名前を見つめ、祈りを捧げていました。
そして、今もなおアリゾナの船体から流れ出ている重油、「黒い涙」と呼ばれる油が水面に虹色に広がる光景を目の当たりにした時には、言葉を失いました。
80年近い時を経てもなお、歴史の悲しみが静かに流れ出しているかのようです。
眼下に眠る巨大な戦艦の影を感じながら、二度とこのような悲劇が繰り返されてはならないと、心から平和を祈らずにはいられませんでした。

歴史の転換点「戦艦ミズーリ」
アリゾナ記念館の静寂とは対照的に、次に訪れた「戦艦ミズーリ」は、その巨大さと力強さで私たちを迎えてくれました。

「マイティ・モー」の愛称で親しまれたこの戦艦は、第二次世界大戦だけでなく、朝鮮戦争や湾岸戦争でも活躍した歴戦の勇士です。
その全長は270メートル以上!
巨大な主砲の迫力にはただただ圧倒されるばかりでした!

私たち日本人にとって、ここは特に心に響く場所、日本の降伏文書調印式が行われた「サレンダー・デッキ」です。
歴史の教科書で見た、まさにその場所に自分が立っているという事実に、不思議な感動と、歴史の重みをひしひしと感じました!
ガイドさんが「この甲板の上で、長く続いた戦争は終わりを告げたのです」と話してくれた言葉が、深く心に響きました。

これはデッキの上あった調印式が行われた場所を示したもの。

すぐ近くにはアリゾナ記念館が見え、戦争の「始まり」と「終わり」を象徴する2つの場所が、同じ湾に静かに向かい合っていることに、歴史の重みを感じずにはいられませんでした。
また、船体には神風特攻隊が突入した跡が生々しく残っていました。
敵であったにも関わらず、当時の艦長がその勇敢なパイロットに敬意を表し、乗組員が手作りの日章旗で遺体を包み水葬にしたというエピソードを聞き、複雑ながらも胸を打たれました。
その後、甲板や船内などを自由に散策しましたが、船内の居住エリアの狭さにビックリ!
こんな狭い空間で寝泊まりするなんて、私だったら1日でギブアップしてしまうでしょう…。
第二次世界大戦当時は約3,000名の乗組員たちがこの船内で長い期間生活をしていたことを想像すると、本当に信じられない気持ちでいっぱいになりました。

空から見た歴史「パールハーバー航空博物館」
最後に訪れたのは、フォード島にある「パールハーバー航空博物館」です。
ここでも、攻撃の弾痕が今も残る格納庫の窓ガラスなど、生々しい歴史の爪痕を間近に見ることができます。
格納庫の中には、日本の誇る零戦(ゼロ戦)や、アメリカのB-25爆撃機などがずらりと並び、まさに圧巻の光景でした!
美しく修復された機体を見ていると、これらがかつて空で激しく戦った兵器であることを忘れてしまいそうになります。
しかし、展示されている航空機一機一機に、そしてそれを操縦したパイロットたちに、それぞれの物語があったのだと想像すると、胸が熱くなり、悲しくなりました。
それぞれの機体にまつわるストーリーや、パイロットたちの思いに触れながら、ゆっくりと見学しました。
こちらの写真は零戦(ゼロ戦)。

こちらはアメリカのB-25爆撃機です。

パールハーバーの名前の由来と場所
パールハーバーという名前は、かつてこの湾で黒蝶貝などから真珠が採れたことに由来するそうです。
19世紀半ばまで採取されており、ハワイ語では「Wai Momi(真珠の水)」と呼ばれていました。
パールハーバーは途中、ツアー会社のオフィスに立ち寄ったこともありますが、ワイキキから1時間弱で到着しました。
まとめ:ツアーを終えて
一日を通してパールハーバーの歴史に触れ、戦争の始まりと終わり、そしてその悲劇をこの目で実際に見て、肌で感じることができました。
美しいハワイの景色の中で、まさかこれほどまでに深く平和について考えさせられるとは、訪れる前は想像もしていませんでした。
このツアーは、私たちが当たり前のように享受している平和が、いかに多くの犠牲の上に成り立つ、尊いものであるかを、静かに、そして力強く教えてくれるはずです。
過去の出来事を知ることは、未来を考える上で不可欠なのだと改めて痛感させられました。
また、個人で行くこともできますが、言葉の壁や、アリゾナ記念館に行くためのボートの移動の予約に制限があり、これが一番のネックとなり、面倒なことも多いようなので、ツアーで行かれる方が多いのかもしれません。
アメリカ人は必ず訪れる場所で、それは日本人の広島に行くようなものだそうです。
ちなみにこの予約した日本人向けのツアーは、もっと男性参加者が多いと想像していましたが、私たちの時は全員、女性でした。
普段はどうなんでしょうかね。
ハワイ旅行ではショッピングやグルメ、ビーチでのアクティビティなども素晴らしいですが、ぜひ一日、歴史と向き合う時間を作ってみてはいかがでしょうか?
日本人としてこの経験は、きっとあなたのハワイ旅行をより深く、忘れられない、特別なものにしてくれるはずです!

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